Choueke Family Residence

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KOICHI NOMIYAMA (1900-1984)

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(その十)日本での個展

 

許山さんは1974年10月、54年ぶりに帰国しました。この年の1月に亡くなった常代夫人を許山家のお墓に埋葬するのを機会に日本に帰ろうと思われたようです。アトリエであり、修復の仕事場であった「Nomi Art Studio」も家も庭も処分しての、大きな大きな決心であったでしょう。しかし1920年、大正9年に渡米して以来初めての帰郷です。1945年6月19日の福岡大空襲で博多の街は明治や大正の町並は消滅していました。又高度成長期に福博の町は近代的ビルが並び、大都市に生まれ変ろうとしていました。
1975年1月10日から22日まで第一回「里帰り個展」を福岡天神岩田屋で開催しました。個展には油絵、水彩約60点を展示。「ボートハウス」「コロラド風景」「田舎の家」等が展示されました。当時の福岡県知事亀井光氏や、福岡市長進藤一馬氏、九州電力株式会社会長瓦林潔氏等から個展成功のお祝いの言葉や、今後の活躍を祈念する温かい言葉が残されています。
昔の面影の消えた博多に違和感を持ちつつも、昔の友達と博多弁でしゃべるのはやはり懐かしいし、心が安らぎました。「巨大都市福岡にはビックリ。日本の美術界のにぎわいにもびっくり。私はまるで今様浦島です。」と語っています。
1975年3月、日本で絵を描くことなく、再び許山さんを育ててくれたサンフランシスコへ帰りました。ジャパンセンターの近く「1615 Sutter Street」にアパートを借りて、再びアメリカでの制作に取り組みました。
国吉康雄も話しています。「私は長い時間アメリカで生活し、アメリカ的思考と文化に大変心を奪われてきました。その為、1931年に死にそうな父に会うため日本に帰ったときは、妙な不自然な感じを抱いたのでした。彼らの生き方に合せるのは、私には難しいことでした。最早、私はここに属していないのだと感じました。再びアメリカの岸壁に着き、慣れ親しんだ友人たちに会った時、私は帰って来て良かったと思い、私を受け入れてくれたこの家が私の家なのだという深い確信を得たのでした」と。長年暮らし、活躍したアメリカは知らぬ間に自分の国になっていたのかもしれません。
許山さんは、以後毎年、福岡とアメリカを行き来しましたが、最終的に1979年9月5日、博多へ帰ってきました。福岡市東区名島に定住することにしました。
名島城の跡地があり、元寇防塁があり、博多湾に囲まれた海が見える良いところです。
1983年、第二回の個展、「アメリカ在住60年許山孝一個展」を同じく岩田屋デパート美術画廊で3月29日より4月4日まで開催しました。
博多に帰った許山さんは再び現役として筆とりました。
しかし、残念なことに1984年9月84歳で福岡市東区名島の千早病院で亡くなりました。
第二回個展の時に次のような言葉を残しています
許山さんの最後まで貫いた絵に対する信念だったのでしょう。
「いつ絶筆になってもいいのだ。ただ作品をつくる事こそ、私の宿命。いつ筆を握って絶命しても悔いなし。描くことだ、描くことだ・・・」
レモンを含んだ「静物」は絶筆となりました。

菊畑茂久馬さんは次のように語っています。
「ここに載せた「静物」は、許山が死の数カ月前、日本で描き上げた絶筆である。
縦31.8センチ、横45センチ、6号の油絵である。永年の念願であった日本で最後の絵を描き、日本の土で眠ることが出来る、そんな死を前にした安らぎがうかがえる。先日ご遺族のお宅におじゃまして、この絵をじっくり見せて頂いた。柿に西洋梨、レモン、それにアケビだろうか、東西の果物がころんころんと仲良く遊んでいるようにみえる。それだけでも、許山の生涯を物語る象徴的絶筆である。例の独特の厚塗りのマチュエールの上に、こすりつけるような筆致と陰影は、大らかな野性味と素朴さが溢れる佳品である」
(西日本新聞文化欄より引用(1996・9・6)


「静物」(1984)(福岡女子大美術館展示)

これで許山孝一さんのお話は終わります。
河村明美さんのご好意で福岡女子大学に寄贈をしていただき、再び許山孝一さんの絵に出合うことが出来るようになりました。
福岡博多で生まれ、アメリカで絵の勉強した許山孝一さんのまた違ったアメリカのプリミティブな絵画をこれを機会に身近に感じていただければ幸いと思います。

おしまい

2014年4月20日


 

   
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