Choueke Family Residence

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KOICHI NOMIYAMA (1900-1984)

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(その八)ニューヨークでの活動

 

アマチ収容所を出た許山さんはニューヨークに1953年まで住むことになりました。
1940年から西海岸の日本人はレロケーシオンに収容され、仕事を奪われ、個人財産は接収されています。
すでに1924年には日本人移民全面禁止の発令がなされていましたが、1931年の満州事変、37年の日中戦争開戦と在米日本人への規制、対処はきびしくなっていきました。特に太平洋側では排斥、偏見が強く、1942年3月には強制収容が始まります。
許山さんも1941年より45年までコロラドアマチ収容所に収容され、その後、ニューヨークに移動した経過は前述したとおりです。
太平洋側に住んでいた日本人は拘束された状況でしたが、米東海岸部に在住していた日本人は異なった拘束を受けています。収容所に収容されることはありませんでしたが、1940年の11月に入ると在米の外国人はすべて登録し、「ピンクアップ」(登録カード)の携帯を義務づけられました。移民局に出頭し、生年月日、国籍、年齢、入国した年月日の聞きとり、指紋押捺を強制されました。
外国人に対してカメラと望遠鏡の提出が求められ、旅行は移民局の許可を得て、50マイル以内と制限がありました。周りの排斥や偏見に商店や会社は閉鎖に追い込まれることが多かったといいます。
1945年8月の日本敗戦後、アメリカ反共政策転向後の不穏な雰囲気のなかでありましたが、1947年に5月25日から6月8日まで、日系アメリカ人美術家グループ展が、「リヴァーサイド美術館」で開催されました。「ジャパニーズ・アメリカン・アーティスト」という名称でした。
この美術展には、石垣栄太郎、イサム・野口、ミネ・オオクボ、ヘンリー・スギモト、タロー・ヤシマ、鈴木盛、臼井文平さん等21名の男女の作品が出品されたそうです。ニューヨ-ク在住していた許山さんも、国吉康雄やタモツ・鈴木さん達と協力しています。どのような絵を出品したかは不明です。
許山さんの友人タツミ・イワテさんの話ではキャンプを出て、ニューヨークに移住した許山さんはあるテキスタイル会社のデザイナーとしてファブリックのデザインをしています。原画が残っていますが、どれを見ても今のブラウスやワンピースを作ったら、おしゃれなものが出来るでしょう。

戦争が終わって、アーカンサス州デンソンのキャンプを出たヘンリー・杉本さんも家族とニューヨークに移動しています。絵だけの仕事では家族を支えることが出来ないという現実に、杉本さんはファブリックのデザインのため、繊維会社で働きました。杉本さんとの関係で許山さんもファブ リックのデザインを始めたのではないでしょうか。
写真は許山さんテキスタイルデザイン画の三枚です。全34枚は、福岡女子大美術館で楽しむことが出来るでしょう。


 

   
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