Choueke Family Residence

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KOICHI NOMIYAMA (1900-1984)

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(その七)国吉康雄、同時代の画家

 

国吉康雄はアメリカで最も成功した日本人画家の一人と言えるでしょう。 1889年に岡山で生まれました。1906年17才の一カ月前に、単身アメリカへ移住しました。シアトルそれからロサンゼルスに渡っています。英語が分からない中で、絵を描いて会話をしていたらあまりの上手さに、先生に絵を勉強したらと勧められて、美術学校に進学したそうです。1910年、秋にニューヨークに移って美術学校を卒業後、アート・スチューデンツ・リーグに入り、マックス・ウエーバーやジュール・パスキン等の進歩的画家との交流を深めて、国吉の絵画人生が展開していきました。
ある時は幻想風なプリミティブな子どもや牛の風景を、ある時期には憂いを帯びた表情の女性達、あるときは仮面に表れた悲哀など、国吉の画業に物語られています。
許山さんは1981年帰国した時、福岡県立美術館で開催されていた「国吉康雄/ベン・シャーン展」を見て、国吉康雄について、次ぎのように語っています。
「1900年に生まれ、18歳の時(年譜によると20歳)、私も国吉と同じくアメリカに渡り、二年前に帰国するまでアメリカに住んでいました。1945年に国吉を知り、それ以来、私の尊敬する画家であり友人でした。久しぶりに彼の絵に接し懐かしい。彼は制作中は誰にも会おうとはしませんでした。熱心に絵を書いていました。「誰かが私のポスターを破った」はとても好きな作品です。この絵はアメリカに住んでいる日本人の気持ちがよく表われています。まさしくダウンタウンの哀愁です。アメリカで長く生活していますと物に不自由はしませんが、心の底にいつも郷愁があります」

 

国吉康雄「誰かが私のポスタ-を破った」

(1943)

国吉康雄「夢」(1922)


許山さんと同時代をサンフランシスコやニューヨ-クでジャパニズアメリカンの画家として活躍した鈴木盛さんについて話してましょう。
鈴木さんはカルフォルニア時代からの友人です。
鈴木さんは1899年生まれの岩手県出身です。18歳の時に父を頼ってアメリカに来ました。1924年にカリフォルニア・スクール・オブ・ファインアートを卒業して、サンフランシスコの三原色画会の展覧会に出品しています。ここには許山さんも出品していました。1931年には東海岸に移住し、ニューヨークで生活するようになります。厳しい制限はありましたが、幸い日本人収容所に入れられることはありませんでした。1936年にはウイラード・パーカー病院の壁画を描いて有名になりました。1938年にニューヨークのAmerican  Artists  School の講師として教えました。1947年のニューヨーク、リバーサイド・ミュジアムのジャパニズ・アメリカン・アーティストのグループ展に許山さんや、野口イサム、石垣栄太郎、タロー・ヤシマ、ヘンリー・杉本さん達と参加しています。


許山 孝一さんと鈴木さん

 

その後1950年代にシカゴに移り住み、1995年 95歳で亡くなっています。アメリカでの活躍は許山さんと似たところがあるようで、ジャパニズ・アメリカン・アーティストの成功者でしょう。 写真は左から許山さん、鈴木盛さん。左は不明です。
左の写真は1936年、ニューヨーク市のウイラード・パーカー・ホスピタルの壁画を制作している鈴木盛さんの写真です。 壁画名は「Preventative Medicine」

 

「Preventative Medicine」制作中の鈴木盛さん

 


 

   
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