Choueke Family Residence

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KOICHI NOMIYAMA (1900-1984)

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(その三)初期の活躍

許山さんは1925年にカリフォルニア・スクール・オブ・ファインアート(加州美術学校)壁画家に入学しました。その時はディエゴ・リベラに師事しました。ディエゴ・リベラはメキシコで有名なフレスコ画家です。メキシコは勿論、サンフランシスコ、デトロイト等にフレスコ画を残しています。1930年11月にアメリカに招かれたリベラは1931年の春からカリフォルニア美術学校で「フレスコ画の制作」取組んでいます。
1961年にカリフォルニア美術大学と名称が変わりました。許山さんは間近にリベラの制作状況を学んだことでしょう。左下絵、中央背を向けているのがリベラです。リベラの太い線の画き方、大胆な人物表現、あら塗の画き方を学んだのでしょう。 その後リベラはデトロイトで仕事をし、33年12月末にはメキシコに帰ってしまいます。

 

ディエゴ・リベラ「フレスコ画の制作」(1931)

 

リベラ「花籠を担ぐ男」


カルフォルニア美術学校を卒業後、許山さんはサンフランシスコの金門学園(ゴールデンゲート学園)の展覧会、Sangenshoku-Gakai(三原色アート集団)で活躍。ロスアンゼルスの「赫圡社アート協会」展に参加、出品してア-チストとして出発するようになります。
初期の絵としてはやはり「マンドリンを持つ男」になるでしょう。又1937年の「無題」(ビーチコーブボート)がみられます。両者は人物と風景の違いはありますが、盛り上がった腕や手、山や舟の捉え方。緑、茶、ブルーと新鮮な色。若々しい力に満ちた筆致。許山さんのアメリカンモダニズムの典型でしょう。
「三原色画会「や「赫圡社アート協会」で学んだものの表現と思われます。
ところで、「赫圡社」とはどのようなグループなのでしょうか。
1923年にロサンゼルス・リトル・トーキョウで設立された美術協会で、新しい美術表現を求めて、様々なフォ-ムの探求、創造に向って希望に満ちて作られた協会でした。日系アメリカ人画家の上山時雄、三好保人、セキシュウ・マスゾウ・ウエノ、トーヨー・ミヤタケさん達が最初となり、このグループの若者たちは新しい絵画を科学的に討論し、新しい絵画への野望に燃えていました。
思うに、「赫」とは日本の漢字ではあまり見られませんが、「赤い」と云う意味です。むしろ 「灼熱」とかいう燃える赤を表すのではないでしょうか。又「赫」には輝く、光るという意味があります。きっと上山時雄さん達の燃える情熱を表している画会だったのでしょう。


ビーチコープボート(1937)

 

一方、サンフランシスコにも新しい動きがありました。
1927年に金門学園( Golden Gate Institute)を中心に「三原色画会」が設立され、会員を中心に展覧会が行われました。当然許山さんも参加し、出品しました。
許山さんのジャパニズ・アメリカン・アーティストとしての始まりです。
1935年にはサンフランシスコ・ミュージアム・オブ・アートが開館しました。オープン記念展には許山さんをはじめヘンリー・スギモト、寺田タケオ、ミキ・早川たちが参加しています。どの絵を出品したのか今後の調査を待ちましょう。

 
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